昨日ヴァイオレットエヴァーガーデンの映画をみてきました。
開始直後、京都アニメーションのロゴが出てきたところで涙が出た。
そして、アニメと同じくあまりにも綺麗な映像、背景、感情描写、シナリオに、心が震える映画でした。
観終わって、手紙が書きたくなった。
個人的に感じた全編通しての印象、感情の共有を切り口に感想を書いていきたいと思う。
ここからは映画観た人だけ読んでね。
個人的にはやっぱりヴァイオレット目線でずっと少佐を思っていたので、会わないと決めこんだくだりとか、あまりのグダグダ具合にちょっと萎えたし、恋人的な終わり方ってちょっと、、、年齢差的にも今までの接し方としても受け入れがたいかんじでモヤっとした部分はあったんだけど
一晩たってようやく噛み砕けてきたというか、そういうことも含めて人間の愛おしさみたいなものとか、冒頭に書いた人と人が感情や時間を共有できることの尊さみたいなものに胸がいっぱいになってしまったので書き記したい。
はじまり
まず京アニのロゴで泣いたのもそうだけど、冒頭あの家からはじまるの、ずるいです。
何年も後だけど、あの家の通りで、玄関で、テラスで「あの家」だってわかる。
えっまさか?と思わせてからの確信。
50年、しっかり手紙が届いた後の話だった。(50年分も手紙書いているなんて知らなかったからびっくりした)
アンが手紙を受け取り続けて愛を感じ続けていたことはアニメでも描かれていたけど、その子供や孫まで出てきてくれるなんて、そして「手紙」だからこそあの時の母の愛が毎年アンの人生を照らしたように、自分の末代まで伝わっていく。
そんな素晴らしい導入だった。
ユリスの話
わたしおねえちゃんだからね、ユリスのおにいちゃんの気持ちわかるの。
親に心配されても意地をはってしまうこと、本当は甘えたいのに過保護に腹が立ってつっぱねてしまうこと。
弟が可愛いのに憎いこと、怒鳴ってしまうこと。
ヴァイオレットに、「弟が生まれて両親が取られるようで寂しかった?」って聞かれて「なんでわかるの?」って言った気持ちも、「弟が生まれた時どんな気持ちだった?」と聞かれて「嬉しかったなあ」って微笑んじゃう気持ちも全部、
本当の気持ちと言葉や態度は裏腹で、天邪鬼になってしまうこと、全部わかるんだよ。
だからもう、彼の話は全体的に涙腺大崩壊で、ずっと涙を垂れ流してた。
そもそも彼がまだ小さいながらに、自分が病でこの世から姿を消してしまった後にも大好きな家族が明るくいられるようにって手紙を依頼した健気な気持ちももうダメだったし、もう来ないでって言ってしまった友達になんとかごめんねって伝えられたことも、リュカがそれを許せたこともずっと友達だって言えたことももう全部、なんでこんな悲しいことが起こらなきゃいけないんだっていう理不尽なことこの世にたくさんあるけど、それでも、そんな中でも彼が後悔を解消できたこと、それが手紙ではなく電話だったからあの瞬間に大切な友人と気持ちを通じあわせることができたということ、本当嗚咽案件でした。
その後の手紙も察することなかれ、もちろん号泣。
お兄ちゃんにしてくれたのは間違いなく弟の存在で、彼に自分の分まで暖かい、優しい気持ちを抱いて生きてねっていうの最上級の愛だなあって思って、まだ小さい弟はよくわかっていなくて笑っていたけど、きっとあの手紙を何年後も大切に読み続けてくれるんだろうな、だからこそあの言葉たちは電話や直接その時に届けるではなくて手紙でしたためておく必要があったんだよね。そんなところでも手紙と電話の役割の違いがよくでていたと思う。
そして少佐の話、の前に大佐の話
アニメではとても憎い存在として描かれていた少佐の兄ディートフリート
今回はしおらしく?穏やかに描かれていたなと思う。
彼もまた、弟を亡くして開いた穴と向き合ってきた人だったんだなということが明確に描かれていて
大切なギルベルトを亡くしたという点で少しだけヴァイオレットと心を通わせるんだけど、ユリスの天邪鬼が比喩表現だったんだろうなと思って今とても切なくなっているところ。
ここもまた兄と弟という関係で、特に親や家柄が厳格というのもあり、ディートフリートのもともとの天邪鬼な性格と、お兄ちゃんとして出来の良い優しい弟が愛おしくも憎いっていう感情や、弟の自由を自分が奪ったという後悔とか、そういう形容しがたい感情がずっと心の片隅にあって、もちろん忘れることなんて出来なくて、でも亡くしてしまったらそれをもう懺悔する相手もいないし共有できる家族とも疎遠で。
そこに同じ悲しみを共有できるヴァイオレットが現れて、天邪鬼だからさ、自分が出来ないことを投げかけてみたくなってしまったのかもしれない、「忘れろ」って言ってみたりしたけど、きっと出来ないよなあって気持ちにも後から気付いたりしたんだろう、そして船に招いて過去に触れて、今までヴァイオレットが知ってるギルベルトよりもっと昔のギルベルトの話もヴァイオレットと共有したくなって、同情とか哀れみの感情とは別のところで受け取ってくれるヴァイオレットだったからこそ、ディートフリートも自分の感情を受け入れられたんだろうなって。。。
ホッジンズに殴り掛かられたときも部下を制してされるがままになって自分がしてきたことの残酷さにも向き合おうとしていて。なんか全然憎めない、むしろ愛おしくなってしまってしょうがなかった。
ラストもちゃんと島にきて、弟に自由になれって声かけて、愛じゃん。もうそんなの全部。失って初めて気付いたんだろうなあって感動しすぎた。失ってなくて本当によかったね。
ホッジンズ
彼はもうこの映画通してずっとかっこよかったよ。
ずっとヴァイオレットのために行動していて、ヴァイオレットのこと一番に考えていて。愛に満ちてた。
雨の中出てこないギルベルトに馬鹿野郎と怒れる彼は本当にかっこよかった。
彼もまた、戦後の混乱の中、仲間をたくさん亡くして感情がついてこなかっただろう時期に、結果的に傍にいたのがヴァイオレットで彼女に救われていたんだなと思ったら、こりゃまた胸が押しつぶされてしまいそうになりまして。。
最初はギルベルトの代わりにならなきゃと思っていたんだと思うし、社長として仕事を与えることで、彼にしかできないやり方で一人の少女を救ったんだと思っていたと思う。けれど彼女が人間の感情を手にしていく様を間近で見ていたら、親心以上の喜びみたいな感情が芽生えないわけないよなあと思うのです。
感情のない顔を貼り付けていたヴァイオレットが、手紙を書くたびにどんどん人間の感情を理解して、そしてギルベルトのことになると一段光輝く宝石みたいに瞳がきらめいて、そんな彼女のためになんとかしたいとずっと心を傾けていたんだと思う。
私は最後の花火のシーンで、いつも通りヴァイオレットがいたであろうその隣に話しかけた彼をみて、彼女が社長の隣で過ごしてきた時間の長さを改めて思い知らされたんですよ。そしてその喪失を思って心が痛くなった。ヴァイオレットは心でずっと少佐を忘れなかったにせよ、一時の心の安寧を社長の隣で得ていたんだろうし、彼もまた、彼女に話しかけ人間として、従業員として、時に娘のように接することで、彼自身の寂しさを埋めていたんだろうな。
目の前で船から飛び降りるヴァイオレットをどんな気持ちで見ていたんだろうか。嬉しさと寂しさと心配と、色んな気持ちがごちゃ混ぜになったんだろうな。涙も出たかもしれない。それが彼にとってどんな涙だったかはわからないけど、たびたび隣に向かって話しかけてしまっては胸が痛んで泣いてしまうような感情としばらく付き合っていくんだろうなと思ったら、やっぱり私も少し寂しさに胸が痛むよ。
感情を共有するということ
冒頭のアンへの手紙が時を超えて曾孫に届くこと、それがきっかけになって母親に対して素直になれなかった彼女が、ヴァイオレットの軌跡を辿って母親に対して素直に手紙を書けたこと
ユリスの手紙がのちにきっと彼の家族を何度も救ってくれること
そして彼との電話で友人としての記憶を共有したリュカがこれからも彼の友人として前を向いて歩いていけること
ディートフリートやホッジンズがギルベルトの喪失という感情をヴァイオレットと共有したことで救われたこと
そして彼女は同じ時間を過ごしながら色々なものを与えられ、経験や感情を共有した少佐をずっと支えにして生きていること
JTのCMじゃないけど、人が人を想うこと、そしてその感情が具現化された手紙という手段、声を届ける電話、直接の対話、そうやって人が感情を言葉や、時に裏腹な態度で共有することで強くなれたり前を向けたり、明日を歩いていけるということがすごく描かれていた映画だったし、それを京アニがまた素晴らしいクオリティでつくってくれたということが涙腺を刺激してならない。
手紙は時を超える、でも電話だって直接だって言葉や表情で目の前にいる人と色んな感情を共有することができる、そうやって人は時を紡いできたし、1人1人の人生は短くも儚いけれど、その中で気持ちが通って言葉にできないほど嬉しい瞬間があったりする。それが最後のシーンだった。
そうやってすべてのシーンに意味があって、繋がっていた映画だったな、と。見終わった直後はそのラストに何とも言えぬ感情だ~と思っていたけど、丁寧に思い出せば全て意味があって、それは人生のようで暖かくて優しい映画でした。
誰かに手紙を書きたくなる。
誰かと感情を共有したくなる。
今までわたしの人生に起こった出来事を共にした人たちが愛おしくなったし、これから起こる楽しいことも、悲しくてつらいことも、大切な誰かと共有して支えあえっていけばきっと乗り越えて生きていける。
何度も観たい、私にとっておまもりのような、大切な映画になりました。